小学3年生の長女、小学1年生の自閉症スペクトラムの息子と超低体重で生まれた発達障害の娘を持つ、3児パパサラリーマンです。
パパが発達障害の情報や体験を発信するのは珍しいと思います。
発達障害児子育てを頑張っているパパやママにとって少しでもお役に立てればと思います。
「みんなちがうけど、みんないっしょ」をモットーに、発達障害児の育メン目指して頑張っていますので、よろしくお願いいたします!
発達障害の子育てで苦労していることはあるけど…
正直申し上げて、発達障害の子育てというのは非常に大変です。
なかなかできないことが多いと、その分苦労も増えてしまうわけですが、その一方でそもそも苦労するものでは?という思いもあります。
今回は、子育てでの苦労について考えていきたいと思います!
発達障害を抱える子どもの子育てでの苦労とは?
自閉症スペクトラムを抱える息子は2番目の子なのですが、1番目に生まれたお姉ちゃんは生まれてからずっと健常者です。
女の子と男の子では育つスピードが異なるので一概には言えませんが、お姉ちゃんはすんなり進んだのに、息子くんは全然すんなりいかないことは多々あります。
今回は、発達障害を抱える息子だからこそ苦労した内容を2点ほど挙げていきたいと思います。
①自分の名前が言えない!
これは発達障害を抱える子どもをお持ちのパパママであれば、すごく共感頂けるのではないかと思っています。
うちの息子は一人称が「おれ」や「ぼく」を使うことが多いのですが、その一人称が自分を指していることは知っています。
同時に、周りから自分の名前を呼ばれて返事をするわけですから、自分という存在を特別視するための名称があることも知っています。
ですが、自分の名前を言うことが出来ません。
自分の名前が言えるのと言えないのとでは、どれくらい違いがあるのか?
旅で例えるならば、地図を持っているのと持っていないのと同じくらいの違いがあるのではないかと僕は思っています。
自分という存在を伝えるのに必要な名前は、同時に相手が自分という存在を認めるために必要なのです。
もし息子がショッピングモールで迷子になってしまったらどうでしょう?
息子が名前を自分で言えるのであれば、迷子センターで名前を伝え、アナウンスで息子の名前を知ることができます。
しかし名前が自分で言えなかったら、単に特徴だけをアナウンスで伝えられることになります。
服装の特徴を覚えていれば良いですが、おでかけの準備に忙しくて服装の特徴を覚えてなければ、再会を果たすことが非常に難しくなってしまうのです。
ある程度行動範囲が決められているショッピングモールでこれだけ大騒ぎするのですから、初めての場所を観光するなんてことは大変なことです。
万が一のことが起こり、自分だけになってしまってからの能力が足りていないのが息子なので、自分の名前が言えないことは命取りとも言えます。
そんな息子も、今ではちょっとつたないですが自分で自分の名前が言えるようになりました。
半年後に小学校入学を控えた夏、ママがおよそ1ヶ月かけて辛抱強く教え込んでくれたのです。
本来は幼稚園の先生が教え込んでくれる予定だったのですが、特に教え込んでくれる素振りすらなかったので、ママと息子が一生懸命になってくれました。
自分の名前を言う息子は少し恥ずかしそうですが、伝えることに抵抗はないようで、最後は「です!」と力強く教えてくれます。
息子の名前を名づけた身としては、なんだかとても心がくすぐったくなります。
自分の名前を好きになってくれたら良いなと思うばかりです。
②インフルエンザの薬がパワーアップできない!
これは自分の名前に比べればスケールが小さくなってしまいますが、それでも重要な事柄だと思っています。
自閉症スペクトラムを抱える息子は7歳となり、新しくインフルエンザの薬の中でも「薬を一気に吸い込むタイプ」の適用が可能となりました。
今までの飲み薬とは異なり、1回の服用で終わるため、上のお姉ちゃんも好んで使っています。
しかし、残念ながら息子は「薬を一気に吸い込むタイプ」の適用ができません。
というのも、今まで試したことのない薬は、基本的に取り入れてくれないのです。
薬に関するルーティンが変わってしまうというのは受け入れがたいもののようです。
しかも一気に吸うということをお手本に見せるのも、なかなか難しいんですよね…
かといって、ただ飲むだけの粉薬タイプも、今まで騙し騙し飲んでくれるように作戦を立てて取り組む必要があるほど強敵です。
タミフルの粉薬はとても苦く、しかも1日2回の5日分ありますから、1回飲ませるだけでとても苦労します。
いつかは「薬を一気に吸い込むタイプ」になるのでしょうが、服用させる側からすると、もっと簡単に終わらせられる服用の方法が生まれることを切に願わずにはいられません。
発達障害だろうとなかろうと、共通して苦労する部分もたくさんある!
発達障害を抱える子どもの子育てをしていると、どうしても子育て全てが特別大変であるかのような受け止められ方をする例が多々あります。
しかし、例えば「親の言うこと聞かない」「すぐに調子に乗る」「暴れてうるさい」なんていう親であれば誰もが一度は抱く不満は、発達障害だろうとなかろうと、関係なく経験するものであり、特別感はありません。
確かに今までに体験したことのないような大変さや難しさはあります。
しかしそれって『子育てしてれば大小あれど絶対にぶつかる壁』なのでは?とも思うわけです。
どんな子どもであっても、子育てする対象になれば、そこに「責任」が生まれるわけですから、とても大変なことになります。
逆に言えば、子育てが大変だと思うということは、親としての「責任」を果たそうと頑張っている証とも言えるのかなと思います。
きっとそのことが個でなく社会で全体で共有されたら、もっと生きやすい世の中になるのではないか?と思わずにはいられない今日この頃です。