小学3年生の長女、小学1年生の自閉症スペクトラムの息子と超低体重で生まれた発達障害の娘を持つ、3児パパサラリーマンです。

パパが発達障害の情報や体験を発信するのは珍しいと思います。

発達障害児子育てを頑張っているパパやママにとって少しでもお役に立てればと思います。

「みんなちがうけど、みんないっしょ」をモットーに、発達障害児の育メン目指して頑張っていますので、よろしくお願いいたします!

今でこそ自閉症スペクトラム障害と知的障害を抱え、療育手帳を認定された息子ですが、生まれた時から障害を抱えていることに気づいたわけではありません。

今回は、息子がどのように成長し、どの段階で異変に気付いたのかを共有させて頂こうと思います!

全く異常を感じなかった赤ちゃん期

息子はお姉ちゃんよりも少し大きく生まれ、赤ちゃんの頃は元気そのものでした。

よく笑う子でしたし(それは今でも変わりませんが)、好き嫌いもなくすくすくと育ってくれました。

首が座るのは早かったものの、ハイハイ時期が長かったことを覚えています。

夜泣きは人一倍大変でしたが、お姉ちゃんとは違い抱っこしていれば寝てくれる子だったので、コツを掴んでからは落ち着いて対処できるようになりましたね。

この時はまだ、息子には何の異常もなく、何の心配もしていませんでした。

異変に気付き始めた魔の2歳

「おや?」と異変に気付き始めたのは、俗に言う「魔の2歳」と言われる2歳の誕生日を迎えた頃でした。

お姉ちゃんは1歳半で既にペラペラ喋っていたのですが、息子はなかなか喋りません。

女の子は男の子よりも成長が早いと良く言われるので、あまり気にしていなかったのですが、2歳児検診で「発語」に対する遅れを指摘されました。

指摘と言っても、「この子は本当に遅いね!」というような強いものではなく、「ちょっと遅いかもね」くらいの軽いものでした。

結果、経過観察ということになり、3歳児検診までの息子の成長を見守ることとなったのです。

「魔の2歳」と言われ恐れられている2歳の息子は、イヤイヤ期としては大人しい方でした。

言葉がなくても、ミルクやオムツは親が率先してやっていましたし、きっと息子にとって不自由なかったのだと思います。

息子が好きな遊びは「絵本」で、誰かと何か遊ぶより、一人で過ごすことの方が好きだったようです。

黄信号が灯った3歳児検診

発語について経過関節と言われた2歳児検診から1年が経過し、息子も3歳になりました。

そして待ちに待った3歳児検診の日が近づいてきました。

息子の異変が一種の確信に変わったのは、3歳児検診の案内袋に入っていた、1枚の紙でした。

その紙には、3歳児検診で行うことが記載されていましたが、その中に「視力検査の練習」と「知的テストの練習」が書かれていたのです。

3歳児検診では視力検査があり、穴が開いている方向の指差し練習を事前に家庭でやっておく必要がありました。

子どもにとっては視力検査が初めてなので、健診会場でいきなりやらせるのではなく、事前に家庭で練習を!というのが狙いのようですが…

息子は発語がなかなか出てこないと同時に、知的な遅れが見られるようになってきていました。

僕は、全ての3歳児が、視力検査の練習をこなせるということに大きな驚きと、深い悲しみに見舞われました。

『3歳でこれができなきゃダメなのか…』

もちろん、何度も言い聞かせ、何度も練習を試みましたが、息子は断固拒否。

そもそも練習をさせることすらできなかったのです。

もちろん、知的テストの練習も無理でした。

紙にキリンやゴリラ、ライオンといった動物が描かれており、動物の名前を指させるか?というテストでしたが、動物の名前を言っても息子は無反応。

おそらく普通の子だったら楽にクリアできることが、息子にとってはとてつもなく高い壁となって立ちはだかっていることを知り、ひどく悲しい思いをしたことを今でも覚えています。

この後4歳になっても息子は視力検査を行うことはできず、やっとできるようになったのは息子が6歳になってからでした。

この事実だけ聞くと、「なんて可哀想」と感想を持たれるかもしれませんが、僕の感想は「成長してできるようになってくれたね!」です。

まるで正反対の感想ですが、この差こそ「親ならではの愛情」ではないかと思っています。

成長の仕方は人それぞれ!大事なのは子どもの成長を讃えること!

3歳児検診で絶望を覚えた僕ですが、そもそもどうして絶望したのでしょうか?

それは、他の子はできるのに、自分の子はできない、という劣等感を抱いたからに他なりません。

しかし、よくよく考えてみると、自分の子と他の子を比較することに、どれだけの意味があるのでしょうか。

人の成長は人それぞれであり、成長のスピードには個人差があります。

3歳ならこれくらいやれるだろう、というのはあくまで大人が勝手に決めた物差しであり、全ての子どもが当てはまるわけではないのです。

ましてや、もし知的な遅れがあるのであれば、無理に何でもかんでも押し付けるのではなく、成長に合わせた教育に切り替えなければ、間違いなく子どもは不幸になってしまいます。

当時の僕には、まだ知識もありませんでしたし、パパとしての自覚が足りていなかったように思います。

少し時間がかかってしまい、息子には申し訳ないことをしてしまいましたが、今では息子の成長に合わせた教育環境を構築できるようになり、息子の確かな成長を感じ取ることができるようになりました。

息子は知的障害と自閉症スペクトラム障害を抱えた発達障害児ですが、僕が息子にしてやれることは『生きやすくなるように、少しでも社会適応力を身に付けてもらう』ことです。

例え成長がゆっくりであっても、息子は頑張って成長してくれているのですから、それを全力で応援することがパパとしての役割だと思っています。

自分の子どもが発達障害を抱えているからといって、絶望する必要はありません。

パパとママが子どもの将来を考え、行動を起こしてくれたら、間違いなく子どもはそれに応えてくれるはずです!